アルゼンチン雑誌『フィエロ』第5号
フィエロ』誌の創刊100号がダウンロード可能になりました。
フーゴ・プラットやジャン・ジロー、メビウスといった傑出した漫画家たちが、この雑誌のページを通過しました。
1984年9月、民主主義が復活して数ヶ月後、Fierro a Fierro.Fierro to Fierro. Comic strips for survivientes)、13号以降はサブタイトルをそのままにFierroと呼ばれるようになりました。最も直接的な前身は『Superhumor』。
創刊期の100号はEditorial La Urracaが発行。
ディレクターはアンドレス・カシオーリで、比較的安定した協力者がいました。エンリケ・ブレッチャ、オラシオ・アルトゥナ、カルロス・サンパヨ、カルロス・ナイン、マルコス・マイヤー、ロベルト・フォンタナローサ、ミゲル・レプ、コチンバ、マルセロ・ビルマジェ。
Archivo Histórico de Revistas Argentinas(AhiRa)のための神話的 雑誌『Fierro』についてのアナ・リア・レイの説明はこう始まります。
この集団は、ブエノスアイレス大学で文学、歴史、コミュニケーションの分野で訓練を受けた教師や研究者を集め、特にアルゼンチンの雑誌と、アルゼンチンの文化史における 美学的、政治的、イデオロギー的議論への雑誌の挿入に関心を持っています。
彼らのウェブサイトでは、他の出版物も見ることができ、フィエロ1号から100号までPDF形式でダウンロードできるようになっています。
しかし、まだ他の号をお探しであったり、ウェブがダウンした場合の代替ダウンロードリンクをお探しであれば、Archive.orgコレクションという貴重なアーカイブで、特別号から 2007年の号まで、すべてを見つけることができます。
以下は、閲覧可能なリンクのリストです。
- フィエロ51号(1988年)
- フィエロ52号(1988年)
- フィエロ第53号(1989年)
- フィエロ54号(1989年)
- フィエロ第55号(1989年)
- フィエロNo.56(1989年)
- フィエロ 57番(1989年)
- フィエロNo.58(1989年)
- フィエロNo.59(1989年)
- フィエロ No 60(1989年)
- フィエロ No 61(1989年)
- フィエロNo.62(1989年)
- フィエロNo.63(1989年)
- フィエロ No 64(1989年)
- フィエロNo.65(1989年)
- フィエロ 66号(1990年)
- フィエロNo.67(1990年)
- フィエロNo.68(1990年)
- フィエロNo.69(1990年)
- フィエロNo.70(1990年)
- フィエロ71号(1990年)
- フィエロNo.72(1990年)
- フィエロ73号(1990年)
- フィエロNo.74(1990年)
- フィエロNo.75(1990年)
- フィエロNo.76(1990年)
- フィエロ77号(1991年)
- フィエロNo.78(1991年)
- フィエロ No 79 (1991年)
- フィエロNo.80(1991年)
- フィエロ No 81 (1991年)
- フィエロ No 82(1991)
- フィエロ No 83(1991)
- フィエロ No 84 (1991年)
- フィエロ No 85(1991)
- フィエロ No 86 (1991年)
- フィエロ No 87(1991年)
- フィエロ No 88(1991年)
- フィエロ No 89(1992年)
- フィエロNo.90(1992年)
- フィエロ No 91(1992年)
- フィエロ 92号(1992年)
- フィエロNo.93(1992年)
- フィエロNo.94(1992年)
- フィエロNo.95(1992年)
- アイアン96号(1992年)
- フィエロNo.97(1992年)
- フィエロNo.98(1992年)
- フィエロ99号(1992年)
- フィエロ100号(1992年)